2017年9月10日日曜日

エセ医学の民間療法を庇い立てする

エセ医学の民間療法を庇い立てする


病気は体と環境のバランスが崩れることで発症する。かぜのような一過性の病気であれば気にもとめないかもしれないが、精密検査を繰り返し行われるような病気になると金銭面で大きな負担がある。その上、休みを取るために職場のいろんな立場の人に頭を下げて回れば、どんな人でも弱気になるだろう。

そういった心身共に弱った人を食い物にする、霊感商法・エセ医学の民間療法は憎むべき相手である、と私は思っていた。民間療法を勧める医師など、江戸市中引き回しの上、打ち首獄門、庇い立てする者も出版社も同罪じゃ。そう思っていた。

しかし、先日、若くして乳がんで亡くなった小林麻央の闘病生活を見て、民間療法について積極的な見直しをしなければならないと思った。手元の週刊新潮726日号(62巻第26)30ページから「「小林麻央」の命を奪った忌まわしき「民間療法」」という特集記事がある。

記事は、北島正樹国際医療福祉大学名誉学長の言葉を引用し「“治りたい!”と願いながらも、重要な意思決定を惑わしたり、足を引っ張るエセ医学の影響が、ひょっとしたら真央さんの周囲にも忍び寄ってきたのではないでしょうか」とエセ医学を非難するトーンである。

私は2点でエセ医学の民間療法を庇い立てする。①珍奇な物や、宗教的な修行を積んだ人に治療の効果を期待するのは、重要な本人の価値観である。②治療の選択肢を増やすべきである。

①珍奇な物や、宗教的な修行を積んだ人に治療の効果を期待するのは、重要な本人の価値観である。


徐福伝説では薬は遠くにある物、朝鮮人参のように高価な物という、薬に対するイメージは珍奇な物で、時に珍奇であればあるほど有効と思われる節がある。

病気で苦しんでいるのは本人だけではなくて、薬を手に入れる周りの人も頑張っているよというアピールと同時に、マーケティングでは「希少性の原理」と説明されるレアものをほしがる心理も密接に絡み合っている。

実際、私が診察している患者さんの中で様々な健康食品を買っている人は多い。そういう人の多くは「実はこういう物を買っています」と申し訳なさそうに語るが、患者さんも珍奇な物に対して半信半疑であり、扱いに迷っているのだ。

また、厳しい修行をしてきた人には何らかの治癒力が備わっていると考えてしまうのも、世界的に共通している。イエス・キリストは砂漠の荒野で修行をして、病人を次から次へと直す奇跡を起こす「治癒神」として弟子達が宣伝し人気を博していく。

これは今でも「ゴッドハンド」と称して様々な施術を行う人が存在する。それに厄除けのお祓いに行く人も多いだろう。

珍奇な物や霊感商法について、「そんなものに効果がありません。やめましょう」と言うべきだろうか。それが直接の害になっていなければ、「負担にならない程度に試してね。家族とよく相談してね」と助言するにとどめるべきであろう。

様々な物を試したい、というのは権利であり、価値観でもある。どちらも尊重すべきだ。ただし、害になっているなら別だ。

②治療の選択肢を増やすべきである。


小林麻央が闘った乳がんの標準的な治療とはどのような治療だろうか。
乳がんの治療のガイドラインは一般社団法人癌治療学会によって公表されている。
具体的にはここ(http://www.jsco.or.jp/guide/user_data/upload/File/breast.pdf)でダウンロードできる。

医療ドラマも、あるいは医療に関わる人は、誰もが「患者第一」「十分な説明と、患者さんの選択」という言葉を口にする。それを念頭に置きながら、ガイドラインの14ページを見直してみよう。「治療の強度は腫瘍の性質やがんの病期、患者の年齢、閉経状態や共存症によって決まります」実は、患者の希望する選択肢なんて、あってないようなものである。

この②の理由は、①よりも重要である。そのためには、人間の心の発達を知っておこう。人間は生まれたときから理性があるわけではない。幼児期は好きなことをしながら、家族や友達の反応を見てふるまいを学ぶ。学童期以降は、自分の好きなことでなくても、学校や友達関係にもまれながらルールや規範を学んでいく。

医師に言われて、素直にはいという精神は、どこで学ぶのだろうか。言われたことを理解し、自分の将来を予想し、行動する。これは非常に高度に発達した能力がなくては、そうなれないのである。

簡単な例で言えば、「勉強しないと、将来大変なことになるよ」と言われて、子共はすぐに行動に移せるだろうか。

言われたことが出来ない。あるいは「勉強しろって言われたから、したくなくなった」と感じるのは、実は人間の心の基本的な構造である。それは「心理リアクタンス」という他者からの命令を拒み、そして怒る心の基本構造によってもたらされている。

私は様々なサラリーマンに簿記や税金・不動産に関する知識の重要性を語ってきた。ところが、勧めると、全員、「でも」といって簿記の勉強をしなくていい理由をとうとうと語った。私は、今となっては、簿記の勉強の重要性を語ったばっかりに、彼らの心理リアクタンスを発動させ、かえって簿記から遠ざけたのではないかと悔やんでいる。

心理リアクタンスを減じる方法が、選択肢から自発的に選ぶ、という行動だ。癌の標準的な治療は、先ほどガイドラインを見たように選択できそうで、出来ない。そこで、エセ医学の民間療法のお出ましとなる。

標準治療 + 手かざし療法
標準治療 + 半身浴治療

エセ医学の民間療法は効かないと明言した上で、標準的な治療と組み合わせて選択肢を増やすのである。標準的な治療しかしないという患者は、出費が少なくて、それにこしたことはない。


ここまで、エセ医学の民間療法を庇い立てするために二つの理由を述べた。①珍奇な物や、宗教的な修行を積んだ人に治療の効果を期待するのは、重要な本人の価値観である。②治療の選択肢を増やすべきである。

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