2017年10月2日月曜日

上から目線のおじさんを庇い立てする

上から目線のおじさんを庇い立てする



 誰でも新人社員を経験する。新人のうちは職場でも右も左も分からない。そこで、上司や先輩、同僚に疑問をぶつけに行くと、業務上必要ではない雑談や説教に長々と付き合わされることがある。アドバイスをもらいに行った手前、こちらから話を打ち切ることもできず、上から目線のおじさんの声はますます高まり、聞き手の気持ちは沈んでいく。

 私は若い頃は、上から目線のおじさんなど、百害あって一利なしと思っていた。医師として駆け出しの研修医の頃、患者と初対面する前に、その患者のカルテを隅から隅まで読み込み、最新の論文を含めて関連する疾患の資料をすべて頭に叩き込んでから、患者にあいさつに向かっていた。
 その後、先輩とディスカッションすることになるのだが、猛列に詰め込んだ私と、一昔前の知識の先輩医師では話が合わないことになる。
 神妙な面持ちで、的外れの指摘と、出来損ないの武勇伝と自慢話が混ざった説教を延々と聞き続ける日々だった。

 上から目線のおじさんは、ハムスターの回し車の中にでも閉じ込めて、仕事の邪魔をさせないようにしたいと思っていた。しかし、最近では考えが少し変わってきた。その理由は2つある。
 ①自分の知識を広めようとするのは、生涯発達において中年期の重要な課題である。
 ②おじさんをこんなふうにしてしまったのは、その上司や環境の責任でもある。

 ①自分の知識を広めようとするのは、生涯発達において中年期の重要な課題である。

 ハヴィガーストによれば、人はその成長に従って、身体的な成熟、個人を取り巻く社会の要求、自我やパーソナリティを作っている個人的価値と抱負を源として6~10の発達課題を持っている。

 幼児は、補講、おしゃべり、排泄、性的な慎み、善悪を学ぶ。
 青年期になると、親から精神的に自立し、職業に就く準備をする。

 そして、30~55才の中年期は職業生活での満足のいく地歩を築き、それを維持することが目標の一つである。

 子どもが泣いたり笑ったりするように、おじさんというのは職場で威張ってみせるというのは単におじさんの性格の問題ではなく、その年齢にふさわしい行動をとっているに過ぎない。

 その課題がこなせなければ、心理的に大きな悪影響がある。

 ②おじさんをこんなふうにしてしまったのは、その上司や環境の責任でもある。

 誰だって若い頃は熱意を持って入社したはず。それにもかかわらず、なんの役にも立たない上から目線のおじさんになってしまったのはなぜだろうか。

 的はずれな指摘は、続けるべき研鑽を怠っている結果である。また、出来損ないの武勇伝や自慢話は、新しいことに挑戦していないことが自分の対面を悪くしていることを自覚していることの裏返しである。

 新陳代謝の激しい競争社会において、会社は次々と新規事業と展開し、IT化にも対応しなければならない。新規事業を開始するとなればその準備のために猛勉強し、おじさんの知識は業界事情においても現場力においてもアップデートされる。

 しかし、やる気に燃える社員は一定数いるにもかかわらず、社長の優先順位の付け方や社内政治の結果として、新しいことに挑戦しない会社へと退化していくこともある。

 低迷し始めた業績や花形事業から外れていることによって、おじさんは漠然とした不安を感じながらも、その上司には強く発言できない。不安はストレスを産み、理想と現実とのギャップにハマった窒息感からせめて口だけでも出して呼吸しようと、部下・年下に対して上から目線の発言を繰り返すようになる。

 おじさんに勉強する環境を作れない経営のあり方自体にも問題がある。

 そんなとき、どうするべきだろうか。若手もおじさんの心の奥底にある危機感と新規事業に耳を貸し、同士として経営陣にも訴えかけるべきであろう。そんなことができないと言うなら、その人も上から目線のおじさんの一歩手前である。

 いかに経営陣といえども、社員から愛想を尽かされたり、嫌われるような判断は避けたいと思うものである。企画を握りつぶす愚鈍な社長と、部下に任せる社長とどちらのイメージを好むだろうか。
 そこで、おじさんと一緒に大小含めて企画書を絶えず作り続け経営陣にやる気があるところを見せ、小さな企画にコツコツと取り組み成功させることで、信頼を得て大きな企画に取り組めるようになるだろう。

 そうすると、上から目線のおじさんはデキる上司へと脱皮していることだろう。

参考文献
「生涯発達心理学15講」(北大路書房)
「産業・組織心理学」(有斐閣アルマ)

2017年9月14日木曜日

アウンサンスーチーを庇い立てする。/I defend Aung San Suu Kyi


アウンサンスーチーを庇い立てする。

民主化されたミャンマーのリーダーのアウンサンスーチーは逆風にさらされている。1991年、彼女は非暴力民主化運動の旗手として、ノーベル平和賞を受賞した。彼女は軍事政権を批判して民主的な国家を樹立させたのだ。国内の少数民族のイスラームのロヒンギャが仏教徒と衝突し、大量の死傷者と難民が発生した。彼女はその不作為を西側諸国から責められ、国連でも大きな議題として挙がっている。

私は彼女を二つの理由で庇い立てする。①国民の統合には時間が必要である。遅れているだけで、単に野蛮だというのではない②政治家は支持者の主張の支配下にある。

①国民の統合には時間が必要である。遅れているだけで、単に野蛮だというのではない
ミャンマーはフランスよりも面積が大きく、山と大河で分断された国である。135の民族が生活し、多くは仏教徒だが、キリスト教徒やイスラームもいる。

現在先進国と呼ばれる国は、多くの内戦を経て近代国家へと移り変わっていった。そのアイデンティティとなったのは文化・言語・宗教であるが、ミャンマーのような山岳地帯の多民族国家はアイデンティティの形成が難しく、統一国家が誕生しにくい。これはアフガニスタンやカフカースなどでもみられる特徴である。

ミャンマーのアイデンティティは仏教であり、中国で迫害を受けた仏教徒を受け入れ、仏教に関する教育はタイにも影響を与えている。その中で、イスラームの住民に対する圧力が高まるのは、避けられないことでもある。

宗教の対立は、近世以降に減少してくる。近世では人々の興味や経済主体が宗教・宗教施設から企業家に移り、にぎやかな大都会では人々はますます宗教施設から遠ざかった。

現在のミャンマーは先進国が経験してきた道を歩んでいるに過ぎない。ただ遅れているだけである。したがって、先進国はミャンマーを野蛮だと非難するだけではいけない。先進国は自国の経験をもとに支援をすべきなのである。

正式な国籍が認められていないロヒンギャは、行政サービスから切り離されていて著しい貧困状態にあることは予想ができることである。国際社会が行うべきことは、ミャンマーの非難ではなく、ミャンマーとロヒンギャ双方への支援である。

②政治家は支持者の主張の支配下にある。

ミャンマーは選挙で政治家が選ばれる。しかしながら、ミャンマーの憲法には軍部の影響が色濃く残る。「ミャンマーを外国勢力から守るため」と称して、軍部に強力な権限与え、議席を割り当てている。そして、それを改憲しようにも、軍部の協力なしではできないのである。

さらに、仏教徒のロヒンギャへの反発の強さも、知られるべきであろう。貧困の中でロヒンギャが仏教徒に狼藉を働くことがあったことは予想される。それに対して、仏教徒の怒りに火をつけてしまったのだろう。 選挙で政治家が選ばれる以上、国民の大半を占める仏教徒を指導する僧への配慮なしでは、選挙に勝てない。

アウンサンスーチーは制限が課された中でロヒンギャ問題に直面しているのである。彼女を一方的に非難するのは、間違いであり、彼女を支援すべきなのである。

さて、私は二つの理由で彼女を庇い立てした。①国民の統合には時間が必要である。遅れているだけで、単に野蛮だというのではない②政治家は支持者の主張の支配下にある。

では、手を差し伸べるべき人は誰だろうか。私は日本もその一つと考える。その理由は、日本帝国は第二次世界大戦中、イギリスと戦うためにアウンサンスーチーの父親を日本の側に取り込み、訓練を行ったからである。 そして、日本帝国は、戦場でも反イギリスの立場をとる民族を利用してきた。日本は民族対立を調停する暇なく、利用してきたのである。私は、今こそ日本はミャンマーに手厚い支援を申し出るべきであると考える。  
I defend Aung San Suu Kyi.

Democratized Myanmar leader Aung San Suu Kyi is exposed to a headwind. In 1991, she was awarded the Nobel Peace Prize as a leader of the nonviolent democratization campaign. She criticized the military regime and set a democratic state. Islamic Rohingya, a minority ethnic group in the country, collided with Buddhists, and mass casualties and refugees occurred. She has been blamed for its inaction by the Western countries and has been a major agenda at the United Nations. I defend her for two reasons.

① It takes time to integrate the people. Just being late, it is not merely barbarity. ② Politicians are under the control of supporters' claims.

① It takes time to integrate the people. Just being late, it is not merely barbarity
Myanmar has a larger area than France, a country divided between mountains and big rivers. 135 ethnic groups live, many are Buddhists, but also Christians and Islam.

A country now called an advanced country has changed to a modern state through many civil wars. It was cultures, languages and religions that became their identity, but multi-ethnic nations like mountainous areas like Myanmar are difficult to form identity and it is difficult for a unified state to be born. This is a feature also seen in Afghanistan and Caucasus.

The identity of Myanmar is Buddhism, accepting Buddhists who were persecuted in China, education on Buddhism has also affected Thailand. Among them, it is inevitable that the pressure on Islamic residents increases.

The conflict of religion decreases after modern times. In modern times people's interests and economic agents moved from religious and religious facilities to entrepreneurs. In a busy metropolis, people have been increasingly away from religious facilities.

Current Myanmar is just walking the way experienced by developed countries. Just being late. Therefore, industrialized countries should not condemn Myanmar as savage. Developed countries should support them based on their own experiences.

A Rohingya that does not have official nationality is to be expected to be in a state of significant poverty, separated from administrative services. What the international community should do is not to condemn Myanmar but to support both Myanmar and Rohingya.

② Politicians are under the control of supporters' claims.

Myanmar is elected politician in election. However, the constitution of Myanmar has strong influence from the military. "We are protecting Myanmar from foreign forces", giving powerful authority to the military, and allocating seats. And it is impossible to amend the constitution without the cooperation of the military.

In addition, the strength of Buddhist opposition to Rohingya should also be known. It is expected that Rohingya worked for Buddhists in poverty. On the contrary, it probably put a fire on Buddhist's anger. As politicians are elected in the elections, they can not win the election without consideration of monks who teach Buddhists who make up the majority of the people.

Aung San Suu Kyi is faced with the Rohingy problem in the midst of restrictions imposed. It is a mistake to blame her unilaterally and should support her.

Well, I defended her for two reasons. ① It takes time to integrate the people. Just being late, it is not merely barbarity. ② Politicians are under the control of supporters' claims.

Then, who is the one who should reach out? I think that Japan is one of them. The reason is that during the Second World War the Japanese empire took the father of Aung San Suu Kyi to Japan to train himself in order to fight against England and to do it. And the Japanese empire has used ethnic groups taking anti-British position even on the battlefield. Japan has used it without any time to mediate between ethnic conflicts. I think that Japan should offer ample support to Myanmar.

2017年9月10日日曜日

エセ医学の民間療法を庇い立てする

エセ医学の民間療法を庇い立てする


病気は体と環境のバランスが崩れることで発症する。かぜのような一過性の病気であれば気にもとめないかもしれないが、精密検査を繰り返し行われるような病気になると金銭面で大きな負担がある。その上、休みを取るために職場のいろんな立場の人に頭を下げて回れば、どんな人でも弱気になるだろう。

そういった心身共に弱った人を食い物にする、霊感商法・エセ医学の民間療法は憎むべき相手である、と私は思っていた。民間療法を勧める医師など、江戸市中引き回しの上、打ち首獄門、庇い立てする者も出版社も同罪じゃ。そう思っていた。

しかし、先日、若くして乳がんで亡くなった小林麻央の闘病生活を見て、民間療法について積極的な見直しをしなければならないと思った。手元の週刊新潮726日号(62巻第26)30ページから「「小林麻央」の命を奪った忌まわしき「民間療法」」という特集記事がある。

記事は、北島正樹国際医療福祉大学名誉学長の言葉を引用し「“治りたい!”と願いながらも、重要な意思決定を惑わしたり、足を引っ張るエセ医学の影響が、ひょっとしたら真央さんの周囲にも忍び寄ってきたのではないでしょうか」とエセ医学を非難するトーンである。

私は2点でエセ医学の民間療法を庇い立てする。①珍奇な物や、宗教的な修行を積んだ人に治療の効果を期待するのは、重要な本人の価値観である。②治療の選択肢を増やすべきである。

①珍奇な物や、宗教的な修行を積んだ人に治療の効果を期待するのは、重要な本人の価値観である。


徐福伝説では薬は遠くにある物、朝鮮人参のように高価な物という、薬に対するイメージは珍奇な物で、時に珍奇であればあるほど有効と思われる節がある。

病気で苦しんでいるのは本人だけではなくて、薬を手に入れる周りの人も頑張っているよというアピールと同時に、マーケティングでは「希少性の原理」と説明されるレアものをほしがる心理も密接に絡み合っている。

実際、私が診察している患者さんの中で様々な健康食品を買っている人は多い。そういう人の多くは「実はこういう物を買っています」と申し訳なさそうに語るが、患者さんも珍奇な物に対して半信半疑であり、扱いに迷っているのだ。

また、厳しい修行をしてきた人には何らかの治癒力が備わっていると考えてしまうのも、世界的に共通している。イエス・キリストは砂漠の荒野で修行をして、病人を次から次へと直す奇跡を起こす「治癒神」として弟子達が宣伝し人気を博していく。

これは今でも「ゴッドハンド」と称して様々な施術を行う人が存在する。それに厄除けのお祓いに行く人も多いだろう。

珍奇な物や霊感商法について、「そんなものに効果がありません。やめましょう」と言うべきだろうか。それが直接の害になっていなければ、「負担にならない程度に試してね。家族とよく相談してね」と助言するにとどめるべきであろう。

様々な物を試したい、というのは権利であり、価値観でもある。どちらも尊重すべきだ。ただし、害になっているなら別だ。

②治療の選択肢を増やすべきである。


小林麻央が闘った乳がんの標準的な治療とはどのような治療だろうか。
乳がんの治療のガイドラインは一般社団法人癌治療学会によって公表されている。
具体的にはここ(http://www.jsco.or.jp/guide/user_data/upload/File/breast.pdf)でダウンロードできる。

医療ドラマも、あるいは医療に関わる人は、誰もが「患者第一」「十分な説明と、患者さんの選択」という言葉を口にする。それを念頭に置きながら、ガイドラインの14ページを見直してみよう。「治療の強度は腫瘍の性質やがんの病期、患者の年齢、閉経状態や共存症によって決まります」実は、患者の希望する選択肢なんて、あってないようなものである。

この②の理由は、①よりも重要である。そのためには、人間の心の発達を知っておこう。人間は生まれたときから理性があるわけではない。幼児期は好きなことをしながら、家族や友達の反応を見てふるまいを学ぶ。学童期以降は、自分の好きなことでなくても、学校や友達関係にもまれながらルールや規範を学んでいく。

医師に言われて、素直にはいという精神は、どこで学ぶのだろうか。言われたことを理解し、自分の将来を予想し、行動する。これは非常に高度に発達した能力がなくては、そうなれないのである。

簡単な例で言えば、「勉強しないと、将来大変なことになるよ」と言われて、子共はすぐに行動に移せるだろうか。

言われたことが出来ない。あるいは「勉強しろって言われたから、したくなくなった」と感じるのは、実は人間の心の基本的な構造である。それは「心理リアクタンス」という他者からの命令を拒み、そして怒る心の基本構造によってもたらされている。

私は様々なサラリーマンに簿記や税金・不動産に関する知識の重要性を語ってきた。ところが、勧めると、全員、「でも」といって簿記の勉強をしなくていい理由をとうとうと語った。私は、今となっては、簿記の勉強の重要性を語ったばっかりに、彼らの心理リアクタンスを発動させ、かえって簿記から遠ざけたのではないかと悔やんでいる。

心理リアクタンスを減じる方法が、選択肢から自発的に選ぶ、という行動だ。癌の標準的な治療は、先ほどガイドラインを見たように選択できそうで、出来ない。そこで、エセ医学の民間療法のお出ましとなる。

標準治療 + 手かざし療法
標準治療 + 半身浴治療

エセ医学の民間療法は効かないと明言した上で、標準的な治療と組み合わせて選択肢を増やすのである。標準的な治療しかしないという患者は、出費が少なくて、それにこしたことはない。


ここまで、エセ医学の民間療法を庇い立てするために二つの理由を述べた。①珍奇な物や、宗教的な修行を積んだ人に治療の効果を期待するのは、重要な本人の価値観である。②治療の選択肢を増やすべきである。